ローマイヤの創業は1921年(大正10年)、ドイツ人アウグスト・ローマイヤが東京・品川に50坪ほどのハム・ソーセージ工場を建てたことから始まります。 これはローマイヤの創業者、アウグスト・ローマイヤのお話です。 |
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創業者アウグスト・ローマイヤ(August Lohmeyer)は1892年6月19日、ドイツ・ノルトラインウェストファーレン州のリュベッケ市(Luebbecke)に生まれ、マイスターの資格を持つ食肉加工技術者となりました。
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アウグストが22歳の時、第一次世界大戦が勃発。 海軍兵としてこの戦いに召集されたアウグストは中国の青島で日本軍の捕虜となります。 こうして1914年(大正3年)図らずも来日することとなり、熊本(後に久留米)の収容所で5年間の捕虜生活を体験しました。
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この間、当時の日本の食肉加工の実態を目の当たりにし、種類の少なさとその加工技術の未熟さに大変驚きました。 「日本で自分の技術を生かそう。ドイツの誇る食品を日本に広めよう」
このことがきっかけで、アウグストは捕虜開放後も祖国ドイツには帰らず、日本の食肉業界の育成と発展に寄与することを決心したのです。 |
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大正10年(1921年)、支援者を得て東京都品川区大崎に工場を建設し、ハム・ソーセージの製造を開始します。 当時の日本人はまだ食肉加工品にほとんど馴染みがなく、主に西欧人や、日本人でも外交官や上流階級の一部の人々だけが顧客で、帝国ホテルや精養軒などの高級店に製品を納めていました。 |
アウグストはこれだけに満足しません。 肉食習慣の少なかった当時の日本人の舌になんとか受入られるハムはないか? ハムは世界中どこでもモモ肉と決まっているが、脂の少ない背肉、ロース肉をボイルしてハムにしたら、さっぱりとした口当たりで日本人にも好まれるのではないだろうか? |
1921年、ヨーロッパでも類例のない日本独得の「ロースハム」がこうして誕生したのです。 |


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大正11年(1922年)、日本人の女性フサさんと結婚。 当時は国際結婚が白眼視されていた時代。 しかもフサさんはアウグストよりも15歳若い当時17歳です。 周囲からはそれは大変な猛反対を受けましたが、それを跳ねのけての決断でした。 |
ここから、アウグストとフサさんの夫唱婦随、力を合わせた努力が始まります。 結婚の翌年である大正12年(1923年)には、関東大震災が襲い、大崎工場は壊滅的な打撃を受けました。 余震が続く中、ローマイヤ夫妻は、ハムやスープを被災者に配って回りました。 このことが後に無断で配ったと問題になり、会社は解散。 アウグストは心機一転、品川区南品川に新しい工場を建設しました。 |
大正14年(1925年)には、銀座に一階はデリカテッセンの売り場、地下にドイツレストランを併設した店を開業します。 ハム・ソーセージが店頭で一般のお客様に売られたのはこの時が初めて。 ハム・ソーセージは西洋の食品としてまだ珍しい時代でしたが、いわゆる「洋行帰り」の外国を見聞した日本人が増えてくると、「本場の味が東京でも食べられる」と評判になりました。
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谷崎潤一郎の小説「細雪」に、
「皆で銀座へ散歩に出て洋食でも食べようと云うことになったが、そんなら尾張町のローマイヤア云う店へいらしって御覧なさりませと、女将が教えてくれたので・・・」
という一節がでてきます。 時代は昭和に入り、ローマイヤは時代の先端を行くハイカラな店としてますますの人気を博しました。
昭和10年当時のレストランメニュー。ソーセージやハムが90銭から1円20銭、ハンバーグステーキ1円、サーロインステーキ1円80銭だった。
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そんな平和な時代も徐々に雲行きが怪しくなり、やがて第二次世界大戦が勃発。 レストランの常連客であったゾルゲがスパイ容疑で逮捕され、夫妻も取り調べを受けるという災難にも見舞われました。 |
従業員も次々と戦争に取られ、ローマイヤ一家は箱根に疎開して千石原で牧場を営みます。 木の根を掘り起こし、牧場や田んぼを作っての自給自足生活。 とは言っても統制の下食べ物は足らず、一家は栄養失調に。 それでもアウグストは自分達の代わりに戦地で戦っている日本人を思い、絶対に「闇」の食料には手を出さない生まじめな人でありました。 |
昭和20年(1945年)、第二次世界大戦終結。 一家は終戦後も箱根宮ノ下町から下りることを禁じられ、ようやく工場を再開できたのは4年後の昭和24年(1949年)でした。 |
レストランも銀座に再開。 自身も一晩に4ダースも開けたことがあるという逸話が伝わるほど大のビール好きでのあったアウグストは、店の一階を売店、三階をレストランとし、間の二階にはバーを併設。この店を大変愛しました。 |


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昭和24年(1949年)、工場を再開したローマイヤは、全国の一流デパートや高級ストア、ホテル、レストランへと販路を拡大し、瞬く間に経営を軌道に乗せていきます。 |
戦後の混乱期にも頑固なまでに「本物の味」を守り続けて品質を落とさなかったことが、多くのお客様に憧れの食品、高級贈答品としてご支持をいただくことにつながりました。 当時工場には立派な社長室がありましたが、生粋の「職人」であったアウグストはそこに居つこうとせず、工場内で製造の指揮をとるのが常でした。 後を継いだ息子を連れて工場内を回り、原料、製法へのこだわりを大声で説いて歩く光景は、ローマイヤ工場の名物でした。 しかしながら戦争中の無理な生活がたたり、アウグストの体調は徐々に悪化していきます。 経営を息子達に任せ闘病生活をつづけましたが、昭和37年(1932年)12月19日、70歳で帰らぬ人となりました。 |
アウグスト・ローマイヤは今、最愛の妻フサさんと共に横浜にある外人墓地の見晴らしの良い場所に眠っています。 しかし、アウグストが日本の食肉加工食品業界に残した偉大な足跡と情熱の火は消えることがありません。
アウグストがかたくななまでに貫いた「本物のハム・ソーセージ」の意志を守り、私たちローマイヤは今日も真心を込めて商品を作り続けています。
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